ヘッセを二冊読みました

本・映画

ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)

ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)                     ドイツの抒情詩人・小説家。南独カルプの牧師の家庭に生まれ、神学校に進むが、「詩人になるか、」でなければ、何にもなりたくない」と脱走、職を転々の後、書店員となり、1904年の『郷愁』の成功で作家生活に入る。両大戦時には、非戦論者として苦境に立ったが、スイス国籍を得、在住、人間の精神の幸福を問う作品を著し続けた。’46年ノーベル文学賞受賞。             (本書・著者紹介より)

ヘルマン・ヘッセをこのたび二冊読んだので、感想文を書きます。

「車輪の下」(高橋健二/訳 新潮文庫)

ヘッセは牧師の息子なんですね。本書の主人公・少年ハンスも牧師の息子という設定で、周囲の期待にこたえようと勉学に打ち込み、神学校の入試に通るものの、そこでの生活は少年の心を踏みにじるものだったため、彼は学校を去って見習工として出なおそうとする……。本書はヘッセの代表的自伝小説なんだそうです。

私(真理子)もキリスト教の学校を出ていますが…

私(真理子)は神学校に通ったことはありませんが、幼稚園もプロテスタント系キリスト教会の付属でしたし、中・高・短とプロテスタント系キリスト教で、日曜日には教会に行くように指導されていました。学校にも熱心なクリスチャンや聖職の資格を持っている先生もいましたから、「クリスマスって、キリストの誕生日なんですか?」「キリストって、殺されたんですか?」と言う日本人がいる中で、比較的キリスト教の世界を知っているほうだと思います。神学校での生活が、少年ハンスの心を踏みにじるものだった……には、大いに共感できました。

本書の中で最も心惹かれたのは、「天才」についての記述

(140㌻)                         天才と教師達とのあいだには、昔から動かしがたい深いみぞがある。天才的な人間が学校で示すことは、教授たちにとっては由来禁物である。十四の年にタバコをすいはじめ、十五で恋をし、十六で酒房に行き、禁制の本を読み、大胆な作文を書き、先生たちをときおり嘲笑的に見つめ、日誌の中で扇動者と監禁候補者をつとめる不逞の輩である。学校の教師は自分の組に、ひとりの天才を持つより、十人の折り紙つきのとんまを持ちたがるものである。よく考えてみると、それももっともである。教師の役目は、常軌を逸した人間ではなくて、よきラテン語通、よき計算家、堅気な人間を作りあげる点にあるのだからである。―中略―真に天才的な人間ならば、傷はたいていの場合よく癒着し、学校に屈せず、よき作品を創り、他日、死んでからは、時の隔たりの快い後光に包まれ、幾世紀にかけて後世の学校の先生たちから傑作として高貴な範として引き合いに出されるような人物になる――

上記引用部分に私は最も心惹かれました。天才って、学校では上手くやって行けないものなんですよ。アインシュタインも、不振な学業成績だけでなく、素行が悪いの態度が悪いのと、クラス担任に通信簿にボロクソに書かれていますものね。もっと若い時に読んでおけば良かったと思います。

「シッダールタ」(高橋健二/訳 新潮文庫)

シッダールタとは、お釈迦様の出家以前の名前

シッダールタとは、お釈迦様の出家以前の名前です。「釈迦」をブリタニカ国際百科事典で引くと、「仏教の開祖。釈迦牟尼(しゃかむに)ともいう。釈迦は種族名、牟尼は聖者を意味する。シャカ族の国王を父とし、摩耶夫人を母とし、姓をゴータマ、名をシッダールタという。生後まもなく母を失い、叔母の手で養育された。16歳で結婚、息子ラフーラをもうけたが、29歳のとき意を決して出家。修行の末、35歳頃ブッダガヤーンの菩提樹の下で悟りを開き、ブッダ(仏陀)、すなわち覚者となった」というようなことが書いてあります。

ヘッセの「シッダールタ」は

 ヘッセの「シッダールタ」は、主人公の名前はシッダールタだけれども、お釈迦様を描いたわけではありません。シャカ族の国王が父のお釈迦様と違って、本書シッダールタはバラモン(インドカースト制中の最高位である僧侶・司祭階級)が父という設定です。が、父バラモンの元に留まりません。ついに一切をあるがままに愛する悟りに至るまでの求道者の体験を描いています。要するに本書シッダールタも覚醒者になるんです。覚醒者とは何か。それは本書をお読みください。

 私は幼稚園からプロテスタント教会に通っていたと書きました。教会というところは、半年~一年と通っていると、たいていの場合、「そろそろ洗礼を」と言ってきます。私はこれを言われると、なんだか逃げ出したくなって、プロテスタントの教会を転々としてきたという経緯があります。
キリストは暴風を止めたり、死人を蘇らせたり、数々の奇跡を起こしていて、「あなたがたにもできる」と言っています。私も天にまします父なる神に、イエス・キリストの名によってお祈りし、地震を止めたり瀕死の叔母を蘇生させたりしてきました(実はこういうことのできるクリスチャンって、あまりいないらしいです)。それでも「何かが違う、何かが違う」と、洗礼を受けて、キリスト教徒になる気にはなれず、仏教に大きく心惹かれるようになっています。

本書で心惹かれたのは…

本書中、私が心惹かれた箇所を箇条書きにします。

  • 「世界を創造したのはほんとにプラジャパティ(万物を創造し支配する最高神)世界を創造したのは、真我、「彼」、唯一、全一なるものではなかったか。(11㌻)
  • (ゴータマ、仏陀について)彼は涅槃に達し、もはや輪廻の中にもどって来ることはなく……彼は奇跡を行い……、(32㌻)
  • シッダールタが目標を、計画を持つと、そのとおりになります。シッダールタは何もしません。彼は待ち、考え、断食します。しかし、彼は、石が水を通って行くように、何もせず、からだひとつ動かさず、世の中の事物を突き抜けていきます。彼は引かれるのです。落ちるにまかせるのです。目標が彼を引きつけるのです。目標に逆らうようなことは何ひとつ心の中に入りこませないからです。だれだって目標を達成することはできます。考えることができ、待つことができ、断食することができれば  (81㌻)

仏陀も奇跡を行っているんですかね

本書の主人公シッダールタが聞いた仏陀の風説の中に、「奇跡」もあるんですね。これがヘッセの創作なのか、キリストの奇跡のように、仏教界が認めていることなのか、いまの私には不勉強で分かりません。勉強したいです。

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